占いコラム

私が占いを好きじゃなかった理由

母は教師をしていたのですが占いが好きで、ことあるごとに占い師に診てもらったり、自分で本を読んだりしていました。
四柱推命、西洋占星術、手相、数秘、そのほかにも自分でいろいろ読んでいたようで、聞くと必ず答えてくれていました。
小さいころ、私は本屋さんのコーナーに並んでいたタロットカードに目を奪われました。占いも興味があったし、魔法や霊の話、妖怪も好きでした。目に見えない世界に惹かれていたのです。
その本は鏡リュウジさんの猫のダヤンが描かれたタロットカードでした。
母に欲しいとせがむと、母は難しい顔をしました。
「あれは本じゃないからだめ」
当時、お小遣いをもらっていなかった私は自分では買うことができません。
仕方なくあきらめるしかありませんでした。

おそらく母は、夢見がちな私がこれ以上、ぼんやりしたり、目に見えない世界に興味を持つことを懸念していたのではないかと思います。
何年か後で妹はタロットカードを買ってもらっていたのです。その頃には私の興味はもうタロットカードにはなかったのですけれど。

ちょっと脱線したのですが、自分は占いが好きなくせに子供にはさせたくなかった母は、私が四柱推命を始めたときもやはりいい顔をしませんでした。
母だけでなく、占いと聞くと眉をひそめる人はたくさんいます。
その理由の多くは、占いが非科学的なものだというところにあると思います。
根拠がない。
特にタロットや易などの卜占は、偶然性を利用して占いをするのですから最たるものです。
人は理由を欲しがります。
そんな雲をつかむようなものに人生や大事なことを任せてもいいのか、判断の基準にしてもいいのか、ということなのでしょう。
私はその問いにはっきりイエスということはできません。
占いでどんな結果が出ても、自分が納得できなければ行動には移せないでしょう。
悩んで苦しんでどうしても答えが欲しいとき、何かにすがりたいとき。
依存したいときは心が弱っていたり、揺れていたりするときかもしれません。
そういうときはまずゆっくり休んで、体を整えるのが一番かなと思います。
占いのメッセージを受け止められる状態を作っておくのも一つの方法です。

私が人にあまり占ってもらったことがないのは、母を見ていたからです。
占いの結果に落ち込んでいることがほとんどだったような気がします。
占ってもらう意味がないよなぁと子供心に思っていました。
どんなに素晴らしい物でも、取り込まれてしまったらそれはもう占いではなくなってしまうのではないでしょうか。
占いは学問であり、歴史でもあるかもしれません。
けれど私はエンターテイメントだとも考えています。
心の余裕のために。人生の余白のために。
なくてもいいけど、あったらちょっと面白いかも。
そんな風に占いが使えたらいいなと思うのです。

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